【こぎん刺しのルーツは?】こぎんと菱刺しの歴史を辿る「こぎん旅」レポート!



こんにちは、kogin.netの山端です。
灼熱の夏、、みなさん夏バテは大丈夫でしょうか。こんな暑いのに3年後には東京オリンピック、、、ヤバいですね、東京。それまでに街を涼しくする技術が開発されることを期待しつつ。さて、だいぶ更新できていなかったkogin blogですが、やっとこさ更新第一弾です。twitterFacebookは更新しているので、最新情報はそちらでご覧くださいね!instagramはアカウント開設したものの、気まぐれで写真をアップしてます(^^;)

ではでは、数ヶ月ぶりのブログをお楽しみください!
本日はかなりディープですよ〜


最近、個人的に気になっているのは、こぎん刺しのルーツ。4月に創刊された『そらとぶこぎん』でも先人の足跡が紹介され、こぎんの歴史に興味を持っていただいた方もいるかと思います。また、前々から先輩方のお話や古作こぎん刺し着物、書籍などで歴史には触れてはいたはずなのですが、お仕事で台湾先住民のお話を聞きに連れて行ってもらったり、青森の方々に歴史に関わる重要スポットを案内してもらったりしたことで、いよいよ【こぎん刺しのルーツは?】という根源的な課題が気になってしょうがなくなってきました。


文献を調べても、『〜らしい』『〜のようだ』と軽く触れているものはあるのですが、大概は「津軽で古来より育まれてきた、、」的なふんわりした内容なのです。唯一、写真中央の『津軽こぎん 横島直道編著』で語られているのを目にするくらい。

こぎん刺しと菱刺しの歴史に関しては、こちらにも詳しく掲載されています。
雪の炉辺に刺す—津軽・刺こぎん、南部・菱刺に見る文様と繍技のドラマ  相馬 貞三

口伝で伝わっていたのがメインで文献に登場しはじめるのが江戸後期なので、その頃に刺された着物が残っていないことや資料が無いというのは仕方ないなのは分かるんです。。でも!実際にはどうなんだろう?って思いませんか。どこで生まれて、どのように発展し、なぜあれほどの刺し子を生み出したのか。



そこで、歴史を紐解くためには実際に見ないと、ということで幸運にも古い南部菱刺しとこぎん刺しを拝見する機会をいただきました。視察中に写真を沢山撮らさせてもらったので、全国のこぎん刺し・菱刺し好きなみなさんに共有します〜!


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

歴史的南部菱刺しをめぐる『つづれやツアー』

まずは、八戸でつづれやを営む山田さんご夫妻にご案内いただきました。
その名も、#つづれやツアー


山田さんの車も菱刺し仕様で素敵ッ

【五戸町】五戸町立公民館



とても保存状態の良い南部菱刺しです。布目が細かく、鮮やかな色も残っていて息を飲むほどの美しさでした。

手袋ごしですが、触れることもできました。

町で大切に保管されているため、実際に見学されたい場合は事前に五戸公民館までご相談ください。


【三沢市】廃校を利用した保管庫

三沢市の廃校になった小学校に保存してある貴重な衣服も、職員さん立会いのもと見学させていただきました。旧小川原湖民俗博物館の資料とのことです。


廃校と言っても窓からの光を完全に遮った室内で、空調も厳重に管理され長着やタッツケ、マエダレ、こぎん刺しが慎重に保管されていました。ダメージが大きいものも多数あり、歩んできた歴史を感じます。


こちらに保管されている刺し子は、三沢市の調査研究としてすべて図案を起こされているそうで、いつの日かその図案が陽の目を見ることを期待しています!


その他にも道中、ユートリーやはっち、まちぐみさんで菱刺しに関する現代の取り組みを見学させていただきました!

八戸駅 ユートリー(〒039-1102 青森県八戸市一番町1丁目9−22)




八戸ポータルミュージアムはっち(〒031-0032 青森県八戸市三日町11-1)



まちぐみ
※まちぐみさんは8月末で移転されるそうです!



話は逸れますが、どこにいっても「こぎん刺しの方が知られていて南部菱刺しはあまり知名度が、、」という話をお聞きしました。地元には菱刺しグループもあり長く刺している方々、そして新しい世代もいらっしゃるので今後、世代を超えて盛り上げていこうという機運が高まるのではないでしょうか。青森県が誇れる素晴らしい文化、こぎんとは一味も二味も違う「南部菱刺しならではの魅力」を発信していければ可能性は無限にあると思います!


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

こぎん刺しのルーツを巡る旅!

そして、こぎん刺しのルーツは勝手ながら津軽の母だとお慕いしている佐藤陽子さん(佐藤陽子こぎん展示館)のご好意で、西目屋村までドライブへ。


いつも気さくでチャーミングな佐藤さん。
こぎんトークを始めるとお互いに話が止まりません(笑)


西目屋村公民館に到着〜。そう、この西目屋村の『奥目屋』こそがこぎん刺しのルーツなのです。詳しく解説します。


天保八年(1778年)日比野貞彦『奥民図彙』より

こぎん刺しが用の美と言われる所以は、摩り切れを防ぐため麻布を糸で埋めて強度を高め保温もしていたことです。初期の貴重な絵入り資料である奥民図彙(おうみんずい)でも肩や袖に柄がわたっています。なぜ肩の部分なのか?そして、そこまで擦切れる用途とは?この辺から紐解いていきたいと思います。


肩の摩り切れを防ぐ用途『炭すご(炭俵)』


炭スゴを担いだ女性= 1951(昭和26)年8月
手塚勝治氏撮影、森山泰太郎氏所蔵アルバムより

起源をたどると安土桃山時代の津軽為信公まで遡る弘前藩。藩政時代の城下町に住む人々の生活燃料は白神山地から切り出した薪材でした。そこで山間地域である西目屋では、どの集落でもほとんどの人々が炭を焼いて生計をたてていました。炭作りは男だけではなく女性や子どもも含めた家族全員の作業、特に炭俵を担いで町まで売りに行くのは女性の仕事だったのです。


白神さんぽガイドマップ 目屋渓コースより

佐藤陽子さんのお話では、何度も登り下りできないため、一人4俵(約64kg!)かついでいた女性もいたそうで、、そんな重い荷物を背負うため貴重な自家栽培の麻で織った麻布の摩り切れを予防したかった気持ちが汲み取れます。


西こぎん刺し着物の特徴『肩の縞模様』



上の写真は西こぎんの裏側。見頃と袖の境目部分です。古作の西こぎん着物をよ〜く観察すると、肩の白で刺された縞模様の間の部分も濃紺に染められた糸で埋められています。補強という機能を考えたら当たり前なのですが、僕の中ではここは布地の藍色が出ているものだと思い込んでいました。重い炭俵を背負って、これほど肩に負荷がかかるのであれば、布目を隙間なく全て埋め尽くしたいというのは腑に落ちます。

白神さんぽガイドマップ 目屋渓コースより



女性が山道を歩くための魔除け『くつわつなぎ』



そんな重い重〜い炭俵を担いでいると、

  • 重心がずれるとバランスを崩して転倒し、険しい山道では命取り。
  • 急勾配では足取りが重いためゆっくりとしか動きが取れないため蛇や獣などに襲われる可能性が高い。

そこで、前は目で見えるけれど、炭俵を背負う背中には目が届かないということで、刺し模様に守ってもらうという発想が生まれました。



競うように模様が発展した理由『晴れ着』



「こぎん刺し=野良着」という単純化した話もよく出てきますが、厳密にいうと

  1. 制約の中、機能性を兼ね備えた野良着として地刺しから変化し
  2. 女性達の手によって進化した結果、晴れ着としても認められ
  3. もったいないので重ね刺しをしたりして野良着としても活用された

ということが本当の所だそうです。

炭を売りに行くのは女性達の仕事だったと書きましたが、女性が街中を歩くときに、せめてもの一張羅で歩きたいというのは今も昔も変わらないはず。ましてや若い女性が群をなして炭を売りに行くわけですから、

『恥ずかしいものは着ていけない』
『他の人よりも美しく見せたい』
『人より凝ったものを着たい』

という着飾ることへの情熱もうなずけます。


古作の西こぎんでは区切られた面に全て違う模様が刺され自分が刺せる模様を自己アピールするように見えます。手先が器用ということで『嫁をもらうなら西から』という言葉も残っているほどです。


こぎん刺しのルーツが息づく『目屋人形』

そんな炭俵を担いだ女性達の姿を今に伝えるのが、西目屋村のお土産品としても定着している目屋人形です。炭すごを担いで、木の枝を杖にして体を支えながら山道を下っていたそうです。

目屋人形 藍絣の野良着に炭俵を背負って運搬したかつての姿を再現 じぶんたちの手で編んだ炭俵に木炭を積めて、若い娘が背負い、山道三里(12キロ)を歩きます。里村の田代地区まで。そこからは荷馬車で消費地の弘前方面へ運ぶのですが、砂子瀬までの道は勾配がきつい所が多くて、人が運んだのです。二俵背負うと、だいたい30キロくらい。そんな重い荷を背にして、山を越え、狭い川沿いの崖道を行きました。(つがる☆時空間様のブログ記事より)

Q. なぜ、こぎんを着てないの?

では、こんなにこぎん刺しと縁が深いのになぜこぎん刺しを着てないんだろ?という疑問が湧いてきます。
目屋人形~深山に咲く花 目屋乙女の炭負姿~
深い渓谷の間を流れ落ち、逸走する清らかな流れと、うっそうたる雑木の深い森林の総合美、その間をぬって、立登る炭焼き 小屋の煙、我が目屋の群峰の山緑を色とりどりの風呂敷を頬冠り、絣の着物にきりりと身をかため、炭を背負って山坂を下る目屋の乙女の群はそれ自体が一つの芸術でありました。昭和の初め頃より地方色豊かな土産品としてあった目屋人形ですが、時の流れとともに忘れ去られ消え去ろうとしておりました。昭和59年、むらおこし事業のひとつとして、商工会婦人部の手によりかれんな目屋人形が復活した次第です。

A. 昭和初期、こぎんが廃れていたから。

目屋人形は上記の通り昭和初期に盛んに作らたそうですが、その頃は明治の鉄道開通から時が経ち木綿の衣服も容易く手に入り、こぎん刺しを刺す必要がないため廃れていました。当時は藍染の絣や絞りに刺し子をして着ていたそうです。昭和初期の民芸運動で見出されるまで、こぎん刺しは大川亮氏など一部の知識人が注目していただけで地元でも忘れられていた存在。いま考えると、苦労や貧しさの象徴として忘れようとしていたかもしれません。そういった意味では、目屋人形が歴史を反映した絣の衣服を着ていることが自然と納得しできます。


『奥目屋』は津軽ダムの下に眠る。


こぎん刺しの故郷である「奥目屋」と呼ばれる砂子瀬・川原平地区は、世界遺産にも指定されている白神山地の入り口「暗門の滝」の下流に建設された津軽ダム(昔は目屋ダム)がある場所でした。こぎん刺しの故郷が世界遺産の近くに存在していたとは、、なんだか誇らしい気分です。


ただ、今は足を踏み入れることができません。1960(昭和35)年に完成した目屋ダムで砂子瀬・川原平地区は水没。
衣服としてのこぎん刺しが廃れた時と同じように、現代の生活がなに不自由なく過ごせる便利さと引き換えに、何かが失われていくのは仕方ない。と、分かってはいるのですが、、、一度でいいからこぎん刺しが生まれた地を踏みしめてみたかった!



いま、辿れる足跡として西目屋村公民館内に設置されている奥目屋風土回廊があり、民具、写真、絵画なども展示されています。当時の山の暮らしぶりがよくわかる、貴重な展示となっております!
奥目屋風土回廊オープン~ 西目屋村中央公民館 ~

館内の掲示写真の中に、アバ染め(後染め)西こぎんを着る女性が何気なく展示されていました。


こちらの公民館では、こぎん刺しも展示されていて、興味深い古作を見つけました!もちろん土地柄、刺されている模様も西こぎんなのですが、模様使いが東こぎんのように縞で区切らず全面につながっています。

なぜこのようなものが残っているかというと、こちらは小さい模様が刺せるように練習として連続で刺されたものなんです。5〜6歳から刺しはじめて15〜16歳には立派な刺し手になっていたそうなので、こういった練習刺しは今でいうと小学校高学年くらいでしょうか。メイン模様は虫くい、蜘蛛刺しと呼ばれる模様でした。

これが上達していくと、肩に縞を入れて様々な模様を入れ込んだ、機能性にも見た目にもメリハリのある着物へ進化していきます。そういう目で見ると進化の過程を見るようで愛おしくなってきます。


公民館の職員さんがモデルをしてくれました!

今残されているこぎん刺しは、これまでに『これは残しておかないと』と先人達が思って残された一級品の作品ばかりだと思うのです。模様の面白さや他とは違うと言った特徴、貴重なものなど。その過程には、傷んで破棄されたりコレクション価値の低さから処分された何千枚もの古作こぎんがあったはずで、そこにはもっとたくさんの人生が込められていたはず。この着物に出会って、そんな遠い時代に想いを馳せていました。


《おまけ》
日本一のこぎん刺し!

西目屋村公民館には日本一大きなこぎん刺しが飾られています。

完成時、横幅7.6メートルの巨大な緞帳。全て手刺し!横島直道氏の時代の弘前こぎん研究所の手によるものです。




佐藤陽子こぎん展示館も超オススメ!

そして、皆さまご存知の古作着物やこぎん文献が日本一揃っていると思われる「佐藤陽子こぎん展示館」。自治体が運営してもいいのでは?と思うほど充実の内容は、こぎん刺しを学ぶなら絶対に外せないところです。

佐藤陽子こぎん展示館
佐藤さんの知識やお人柄に引き寄せられるように、展示物も進化していて何度でも訪れたくなる場所です。初めて行かれる方は、見るべきもの聞きたいことがドンドン出てくるので最低でも3時間は滞在したほうがいいと思います!今は予約が立て込んでいるピーク時期とのことなので、もう少し時期をずらしてからが訪れやすいかもです。こちらは事前予約制です。《》佐藤陽子こぎん展示館 予約方法はこちら

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

いや〜、久々のブログ。充実のこぎん旅を楽しんでいただけましたでしょうか。途中いろんな時代にタイムスリップしましたね(^^;)最後まで読んでいただきありがとうございます!

2017年7月末の調べではこんな感じです。きっとこの記事は、新たな資料や証言が出次第、今後も加筆修正していくと思います!関連資料をご存知の方、また修正アドバイスなどお気軽にご連絡いただきたいです。メール→ kogin.net@gmail.com

今後ともどうぞ宜しくお付き合いください。

kogin.net主宰 山端 家昌

コメント

わたや さんの投稿…
はじめまして。
岩手で菱刺しの小物を作っているわたやです。

つづれやツアーレポート、ありがとうございます。
できることなら参加したかったです。
画像もたっぷりで、読みごたえのある記事に大満足です。

こぎん刺しのルーツも興味深く読みました。
菱刺しのルーツが気になっていたのでとても参考になりました。
山端家昌 さんの投稿…
わたやさん

はじめまして、kogin.netの山端と申します。
コメントありがとうございます!
菱刺しの小物作りをされているんですね。
つづれやツアーは希望者が集まればまた開催したいとおっしゃっていたので、
興味があればつづれや山田さんに問い合わせてみてくださいね(^^)

菱刺しの歴史は、まだまだ勉強中ですが
「民芸の心を学ぶ 講演記録集」という冊子にこぎんの歴史とあわせて、
文献に出てくる菱刺しの歴史が掲載されていました。
青森の図書館で読めたので、興味があれば是非探してみてください!

このブログの人気の投稿

【フェリシモ×kogin】縫製済み!こぎん刺しキット新発売のお知らせ!

【ベルメゾン】レベルアップ!こぎん刺しキットが出来ました!

【第2期】こぎん刺しの楽しい小物づくり講座、始まります!

弘前こぎんマップ!

前田セツ著『津軽こぎん刺し』復刻のチャンス!

【DMC×koginコラボ】大人のこぎんキット、誕生。

作家活動10周年。この春、こぎんの先生はじめます!

伝統のモドコで遊ぼう♪ 75種類のこぎん刺しアレンジ完成!

【星野リゾート】界 津軽「津軽こぎんの間」

NHKイッピン「針と糸が作る ひし形の宇宙~青森 こぎん刺し~」